自分のこと⑤価値観とかのやつ
(渋谷山手線ホームで足湯ゾーンあった、足にビニールかけて湯に浸かる絶妙な気持ち悪さがすごい)
先日某ショッピングモールに行きました。久しぶりでいぇー!とセール中の服屋を周りはしゃいできた。春服サイコー
そこで自分の中でどうしても納得いかない"価値観"と"正義と悪"にぶち当たった。今日はその話。
毎度毎度精神がゆらゆらしている私ですが、その最たる原因の一つに生真面目、というのだろうか。真面目な自覚はなくむしろ時間にルーズだしてきとーだし語彙力はない。
ただ、自分の中で"自分はこうありたい"という決め事のようなことがいくつかあるのです。これは育った環境も多分大きく影響していると思うがそこは今回は置いておいて、
上記の一つに"人に優しくありたい"という思いがあります。長年接客業やっていたからか、いい顔したいんですね、人によく思われたい気持ちが多分人より強い。
そして、接客10年やってきて辿り着いた今のもっとーが"人の笑顔のお手伝いができる人間でありたい"というものです。(転職で使いまくったPRやつ
例えば、店員も客も流れ作業のコンビニレジで、稀にすごく丁寧に笑顔で「ありがとうございます、またお願いします」と弾んだ声で言われたら少し元気になるんです。休憩中に虚無でパン買いに行って(あー午後も頑張ろう…にや)みたいな。そういう瞬間って生活の中でとても重要だと思うんです。それを自分が出来たらいいなと思っている。
そんな中で先日の話に戻る
まんま内容これです。
少し詳しく説明すると、ショッピングモールの一つのアパレルショップの中で泣いてうようよしているこどもかいた。数分店内の商品を眺めつつその子は変わらずうようよと泣いている。
私は声をかけた。理由は自分がその立場だったらそうしてもらいたいから。一人は怖い、誰も知らない、何処かもわからない、何もできない。それが見ていて感じ取れたから声をかけた。
まずはパニックを落ち着かせてつらい怖いを減らす、状況を引き出す、自分がどう動くべきか考える。
一人?お母さんとお父さんと来たの?どっか行っちゃったの?コクコク ?怖かったねー!もう大丈夫よ、お母さんすぐ来てくれるから、ちょっとだけおねーちゃん()と一緒にいてくれる?コクコク シクシク
ここで店の店員に声かける、この子迷子みたいなんですけど、迷子センターとかってあります?
「少々お待ちください」と店員去る、戻りが遅い
いっぱい泣いて疲れたでしょ、お茶のもうか、おちゃのめる?コクコク ゴクゴク 家族みんなで来たの?いいねー!お兄ちゃんいる?コクコク そうかー!お兄ちゃんもすぐ来るぞぉ服、かっこいいね!
5分ほどして店員戻る、インフォメーション呼んだので少々お待ちください。また数分待つ、店員去る。
ここで施設のインフォメーションのお姉さん来る
「お客様ですか?ありがとうございました、あとは任せてくださいね、大丈夫です」と迷子引渡し。
最後に会話、何歳?5?4かー!言えて偉いね!名前は言える?チンモク.. ちゃんと言わないの偉いね!なでなで じゃあね、もう大丈夫だからねー!
これ、人によってはすごく気持ちの悪い行為だと思うんです。見ず知らずの他人に声をかけて、自分がそうしたい行為を相手に押し付ける。実際、そのこがその後どうなったかわからない。私が介入した事でより怒られたり面倒なことになっていたかもしれない。
名前を言わなかった迷子は偉いと思った、言えなかっただけかもれないけど、親に"知らない人に話しかけられて答えちゃいけない"と教わってその通りにしたのかもしれない。
今の時代だからこそこの選択はより難しいしいい人ぶって犯罪者にされたんじゃ溜まったもんではない。冤罪こわ時代。
それでも私はこうするしかできない。
性善説、性悪説ってよく言うじゃないですか。どっちもあるしどうでもいいよと思うけど、選ぶとしたら、私は後者だと思うんです。だからこそ、"善く"ありたいと思う。
その"善"が全ての人にとっての"善"ではない。だからこれに対して議論を交わすつもりはない。だから自分が後悔しない行動をする。そういう人間なんです。その場その場でしか動けない。
でも、議論しないからこそゆらゆらメンタルの私は、この行動は"正しかったのか?"と後ですごく考え込んだ。連れの方を待たせ自分の価値観と正義感で"助けたい"など思う傲慢さ。
そしてどうしても消化出来なくて不快に思わざるを得なかった件が今回のブログを書いた理由。販売スタッフの対応。
自店で泣いてる子供か何分も店内をウロウロしていて誰も一言もかけずに見て見ぬふりして服をたたむ、いらっしゃいませと言い続ける。なんのためにいるの君たち?
"マニュアルにないから"仕事ではない、そういう問題ではない。もし自分一人であったら私はその店の店長を呼び出してクレーム付けていた。「自分の店で泣いてる子供がうろついてて客からしても印象悪いですよ、10人以上店頭にスタッフがいて誰一人見て見ぬふりする店で客が気持ちよく買い物できますか?」と。
人間としてその場にいたほぼほぼの人間を軽蔑してしまい、その後自問自答で結構しんどくなりました。
人によって価値観が違うのはわかる、善悪の基準が違うのもわかる。でもせめて自分の思う価値観を正しいと思える強さがほしい、そんなことを結論としてまとめたかった今回の一件でした。
ではまた。
転職活動③生きる手続きとかのやつ。
役所に行ってきました。保険、年金、病院とかまぁその辺の変更手続きです。
実家と市役所が市の端と端にあるので一時間歩いて行きました。今日はあたたかかったね、2019年の立春は19度を記録した。
わざわざ役所に出向いたわけですが、新職場との兼ね合いで2月の一ヶ月分の為だけに国保、国民年金に切り替えなければならなくなった。
でまぁ保険証は必要だしさっさと申請しに出向いたわけでした。(来月の社保変更手続きは郵送でいいとのことで、面倒が減ってよかった。
これをわざわざ書こうと思った理由、二年前正社員退職した後のことを思い出したからなんですが、
二年前退職した後、私何もしなかったんですね。半年ほどフルで働けない期間があったので、失業手当受給資格があったのに貰わなかったんです。何の為の雇用保険加入だよ。。と今思えば勿体ないことくらいわかる。でも当時はできなかった。
仕事辞めて実家に戻って、母親に「早くハロー○ークと役所へ行きなさい」と毎日言われました。それこそ今日全て手続きしてきた年金、国保の変更なんかをとりあえずやれと。
当時の自分はもう外に出るのも知り合いに会うのも嫌でしんどくて、ましてハローワークなんて"労働"という概念そのものじゃないですか。年金なんて"遠い未来"のために動けるわけがない。私は今死にたいのになんで生きてるつもりもない未来のために金払いに行くんだ。
正社員時代は求人出す企業側としてお世話になったこともありました。思い出したくない。できない、いけない、行けるわけがないと駄々をこねていたら受給資格期間終わりました。
体を壊して実家に帰って、受給も怠ってからは「出来ないならもう仕方ないじゃない」とよく親に言われました。しんどい。私だって出来ないんだから仕方ないとまんま思っている。でもその言葉は当てつけとしか捉えられない、出来る事をサボっている風にしか見えなかったのでしょう。家でぐうたら寝ているだけの人間をみたら誰でもそう思う。
"それ"らがあまりに心身に祟り、丸一年とすこし実家から遠ざかっていたのですが、親の中でも色々心境の変化があった様でした。
最近になって、前に書いた"圧"のような、そういった言葉は一切言われなくなりました。「体が第一なんだから」と。
母親、某ハロー○ーク勤めなんですね。なのでまぁこれまでうるさく正しいことを言われ続けてきたわけですが、二年前から失業手当の受給関連に携わる部署?に移動したらしいと聞いた。それから価値観が変わった、というか知らないことを多く知った様で…(100時間無賃残業者の鬱病寸前のお客様の対応など、受給する人間の"幅"と"闇"を知ったようでした。
今回のブログで言いたかったのは
自分で即日自分の各種手続きがこなせるほど元気になりました!
というところでした。最近はちょっと先のこととか、貯金のことも考えています。偉い。
随分また思い出話に吹っ飛んだので間の文章ずっぱ抜きました。すみません。文字が多い。文字制限は大事。Twitterは偉大。
次は健康に関してざっくりまとめたいと思ってます。ずっぱぬきした文字をぺっとします。社畜時代過去編突入です。
ではまた。
転職活動②やりたい仕事、向いてる仕事
採用された企業面接についてもう少し掘り下げたいので書く。
前のブログで書いた"2回とも落とされてから受かった"の理由?というか、なぜそうなったのか。
今回あるアパレル企業の"未経験可、アシスタント業務"の求人がでていて応募しました。
私が応募した職種は未経験から入れる職種ではなくて、とにかく門が狭い。そしてアシスタントから"上"に上がれることがほぼないということを面接で強く押されました。(じゃあどうやってなってんだこの人たち?ってくらいとにかく少ない)
私はこれまでの経験とPR、今勉強していることなど向上心をみせて自分のPRした、前回のECサイト運営アシの経験からPhotoshopを勉強しているなど話した。結果落ちた。
落とされた理由聞きました。"オーバースキル"とのこと。そんな単語があったのか。。オーバーワークではなく…?とまぁ順を追って説明していただいて
上記の"向上心"が"仕事で上に上がれることはない"という面で合わない、モチベ保てず飽きてしまうんじゃないかと部署の方に判断されたようでした。
こういうこともあるのか、努力=いいとは限らないんだとハッとさせられる経験でした。
これはもう単純に"お互い求めているものが合わない"だけで、どうしようもない。ということで理由がわかって割とスッキリした。
以前未経験可で入ったEC運営アシスタントは、同じ"未経験可"の求人で、受けてから採用まで三ヶ月かかった。そして、今回とは真逆の"未経験でも即戦力でスキルがほぼある前提"という点で、研修期間に落とされました。ここは担当部署上司が一人しかおらず、すぐに後任として仕事全部任せたかった、と後々言われた。
"未経験可"の幅、広すぎない?!せめて詳細もう少し面接で話してくれても。。と企業サイドの求めるものの違いの"幅"を学びました。
そんでもって、二回も同じ企業落とされて受かった理由。二回目は未経験でもそこまで狭い部署ではない。そしてこちらの方がなんとなく仕事のイメージがつく。受かりたい。
前回自分のPRを中心に面接であっぴるしまくっていたので、はじめっからスタンスを変え、いかにこのブランドが好きで入りたいか。違う部署も受けたが"この企業で働くこと=モチベ"ということをPRしまくった。
恥ずかしい誤算は、面接官が担当部署の方と会社の人事さんで、人事さんが二回とも同じ方だったこと。
二回目は自分の中でリベンジ!という想いで挑んだので、服装全く同じで行きました(靴だけ変えたかな)。(アパレル受けてんのに服持ってないんかこの子ーー)
突っ込まれる前に自分からアピールの意味合いで前向きに突っ込んでおきました。
「リベンジを兼ねて全く同じ服装で来ちゃいました、お恥ずかしい…!笑」
てな感じ。雑談スキルはあります。接客10年。
こちらの部署でも担当さんからおそらく同じ理由で蹴られ、後日電話で不採用の連絡がありました。
(電話?)と思い話を聞く。二回目の部署も不採用になったが、人事さんから1.2日待ってくれとのこと。
一体なにを待つのだろう。。と思ったら最初に書いた「一回目に受けた部署での採用」の連絡。
豆焼いてたので電話のあと手震えながら豆こぼしてました。マジ…え?みたいな。
電話でもう一度強く押されたのが
「基本雑務業務が多いこと、今勉強されていることが実務につながるかわからない、アシスタントとして休日出勤の可能性もある」
「それでも本当にいいですか?」「yes!」
晴れて転職活動終了、そして第1志望無事合格、という経緯でした。
合格して初出勤日、落とされた方の部署が同じフロアで面接でいらした上司から「お待ちしておりました」とお声かけいただき深々お礼。そちらの課はまだ採用決まっていないらしい。
採用されてからオフィス各フロアをうようよ探検している時に人事さん発見し、ご挨拶。
(オフィスラウンジ、お昼を食べてる風景)
親に採用企業報告したら「え、ホワイトじゃんどうしたの?」と言われました。(先に祝えよ。。)
うち、妹2人の5人家族なんですが、絵描きの末の妹以外全員アパレルなんですね。。なんという血筋。
いつもTwitterで妹妹言っている方の妹は今年の春から新卒アパレルマンです。
姉としては学歴もいいしもっと福利厚生いい職たくさんあるのに。。と思いつつあ、これが親の心情か、と理解してしまい複雑〜になりつつも一緒にお祝いしました。
早く末妹も成人してみんなで酒旅行でもいきたいわね。歳とるほど仲良くなるもんで姉妹、本当に親に感謝です。(姉は一人だと寂しくてしぬ)
二人一気に仕事が決まって親も少しは安心させられるだろう。いつまでも性格はふらふらしていますがその面は諦めてほしい。
ではまた。
転職活動①つかれた
つかれた。やらなきゃやらなきゃと思い随分経ちようやく決意と行動。とりあえずは無事おわりました。応援してくれた民ありがとうございました。
みんなの"大丈夫"に救われた。
転職活動のきっかけは金銭面と住居、健康面の回復、あとは周辺環境の変化などですが主に金です。
前のブログで書いたけども豆屋は環境がとてもよく、あわよくば続けていきたかった。半面、時給安すぎ問題で生活費がほとんど無でした。日々食うものを自分で見繕う余裕が無い。どんだけやねん。痩せるわ
春にバイト先の店長が退職することは前々から聞いていたのでその辺ごたつく前に次の職をみつけたいなというところ、あとは今月で正社員辞めてちょうど丸2年経つので、節目でちょうどいいかなと。
転職先はアパレル事務諸々の内勤フル勤務です。結構いいブランド、そしてホワイトです。頑張りました。(本当に。。)
休日休みです。みんなと遊べます。いぇー
転職活動詳細を語ると長くなるのですが何となく流れ。一度決まった企業は内勤希望で店頭スタッフに回されたので辞退。
12月頭から求人探し、書類選考が月末辺りで年明け後続々面接面談開始。10社ほどエントリーし書類選考は全部通過、面接に行ったのは4つ、かな。
転職活動をしていて、新卒の時とは明らかに違うのを実感しました。この点はとてもいい経験だった。
ある程度(といっても所詮数年)キャリアと場数を踏んだので、面接や面談で企業に足を運んだ時の雰囲気、イメージで自分も企業を選ぶ側だということ。雇ってくださいへこへこなど有り得ない。私を低くみるなよという謎の自信(これが割と大事)。
印象に残った企業は、面接官(社長)が時間遅れて待たされる間30分御局様が若い子を怒鳴り散らし、その後泣きながら仕事している様を横目で見るというおつらみ。求人と企業イメージはとてもよかったので行って残念。。(オフィスはサイコーに綺麗でした
もう一社はアパレル店舗のMG面接で、どんなMGになりたいかと聞かれて「みんながメリハリ持って働きやすい職場」とざっくり答えたら「うちは全部が仕事だから、生活も仕事だし飲み会も社長にいい顔しないとだめですね」と言われ危うく喧嘩勃発しそうになった企業。(面接でそれ言うか…)とその場で吹いた。まんま前いたブラック企業やん。。
ベンチャーだったので会社の10年後のビジョンを聞いたら「.ないですね、今を生きてます」と即答されおわりました。
いろんな企業がありますね。楽しい。(黒)
採用頂いた次の職場について。
募集職種が二つでていて、一度目の部署不採用、二度目別部署も不採用。ズドーンとしながらほか企業受けまくっていた時に、人事さんから連絡いただき一度目の部署でもう一度面談、??なりながら採用いただき決まりました。
面接では第1志望だったのでやる気見せまくりんこして落ち、二度目の面接でのスタンスがわからず緊張、さらに同じ面接官さんだったのでパニクり回し「名古屋県に転勤してました」と言う始末、、新卒の面接か?(後で人事さんに笑われて気付いた)
まぁそんなんで何かしらで目に止めていただきなんとかホワイトofホワイトに辿り着くことができました。めでたし。
web媒体の広告だったりイベント企業だったりベンチャーも大手も色々受けて、結局アパレルかーいというツッコミを自分で何度もしました。結局、好きなことに携わっていないとモチベ保てない人間なんですね。私
あとは内勤でのモチベなどは今後ゆっくり考えていこうと思います。とりあえず初日二日目と出勤できたので、その点についてはもう大丈夫だと思います。よかった。前日電車で胃腸炎起こしたのは大丈夫なのか。大丈夫。うんうん
まだまだ心身へなちょこですが、それこそホワイトでむしろ無理ができなそうな環境なのでどうにか続けられたらいいな。という現時点です。
転職活動、疲れます。みなさん頑張ってください。
ではまた。
自分のこと④ブログ初めて一年経ったらしいから書く
メールで一年経ちましたよ〜とお知らせがきた。なんやんかんやしているうちに全く更新せず一年経った。まぁそんなものですね、ブログに対して"更新しなきゃ"という気持ちは持たないようにしています。義務付けるとできなかった時の負荷が増えるので、そういうものはなるべく生活から減らしたい。趣味もなんでも楽しく続けられるペースでできればいいかなと。
一年前のブログを読み返さないままこれを書いてます。だいぶダメージ食らうことが目に見えているので。。(既につらい)
とりあえず転職活動の話をいっぱいいっぱい書きたい気持ちを抑えて(後日書きたい)近況と2018を振り返り。
約1年と半年、珈琲豆の焙煎専門店で時短アルバイトを続けてきました。
(焙煎前の珈琲豆(生豆)、これを焼くと黒いいわゆる"珈琲豆"になります)
一番恵まれていたのは職場の人間関係。
体調面で知識と理解のある先輩と店長で、みんなで持ちつ持たれつ体調カバーしながら出勤を続けられました。そして、どストレートな言い方をすると客様の質が高い。有難いです。対人ストレスが圧倒的に低い。
勤務していてよかったのは、アルバイト社員関係なくスタッフ=専門のスタッフとして親切に対応できる環境だったのが自分にとても合っていてよかった。勉強のしがいがありました。自分の中のコーヒーキャパを把握出来た(三杯以上のむと手が震える、思考停止etc..)
アパレル以上に常連さまが足を運ぶスパンが短い業種だったので、常連さまとの距離がより近い。(それで面倒ごとも何度かありましたがまぁどうにか)
こんにちは〜と挨拶から始まり、新年は今年も宜しくお願いしますとご好意を頂くこともしばしば。とても名残惜しい。(普段近隣トラブルの愚痴を聞いているおばさまから自転車貰った時はさすがにスゲーと思いました
豆屋で心身を休ませながら働いてきて、自分の今の体力の限界、生活スタイル、心身との向き合いを続けてきました。
Twitterなど見返すとなんだかんだ1年の半分くらいはしんどいしんどいしていたのでまぁしんどかったんですね。お疲れ様でした自分2018。
新卒でオーバーワークで心身を壊し(100時間無賃残業←100回言ってる)死の淵をみて、それでもなんだかんだ生きている。
正社員を辞めて、合わない薬で死にかけ迷惑をかけ、助けてくれた人も離れてしまった人も傷つけた人も傷つけられ人もいて、それでもなんだかんだ生きていて、
死にたい気持ちはずっと自分の中にあってあり続けて、まぁ奇跡的に事故にでも合わない限り生きなければいけない。
社畜然り人間関係然り、自分で選んだことは失敗であっても後悔はしたくない、という自分の中でぶれない芯がずっとあります。だからアドバイスをもらっても結局決めるのは自分。自分で選んだことだから受け止められるし人のせいにする自分は嫌だ。
失敗しても次にきっと繋がる、繋がった先がたとえ死であったとしても、自分で選んでいきたい。
周囲からこうすべきだと言われてつらくなるより自分で選んだ"こうしたい"ことに、もう少し自信を持てたらいいな、と思うのが2019年の抱負、とまでは言わない程の目標です。
1月どったんばったんしていて一部皆さま心配などおかけしましたが、だいぶ元気です。身体が回復するようになってきました。熱出すことも減りました。
ではまた。
①あの夏のことを
思い出そうとする。
そもそもあの夏などあったのか、なぜ夏に幻想を抱くのか。抱いた理想の夏はもう訪れていたのか。これから来るのか。自分で見つけに行くものなのか。
戻りたかったあの頃を作ることが大事なのだろうか。だとしたらやっぱり今を全力で生きるしかないのだろう。あの夏まで生き抜けるのか私、今年も既に全身が痛い。
今年の夏は浴衣を着ようと思います。締めつけが途中で気持ちわ来るな流のであまり好んで着ないのですが、今年の夏は自分から少し夏に寄り添ってみようと思う。そして近所の夜の散歩をする。片手にぬるい缶チューハイ。テンプレに沿うサマー。少し人の多いところまで花火を見にいくのもいいな。
自分のこと③ゆらゆらため込む
写真や文章など一貫性がある人間は自分をしっかり持っていてカリスマ性あると思う。一方私は好きなものいっぱいでその時触れた作品や他者にぐいぐい影響受けて統一性がない、でもそれが自分の特徴だと思う。一言でいうと気分屋。
外部から影響や刺激を受けて吸収して知識もなんでもかんでも自分の中に詰め込んで忘れてまた新しいことに触れて、ふとした時に思いだしてまたひっぱりだしたりしていくのがすきでたのしいらしい。それをひたすら続けられる人生がいい。
仕事おわりに溜まったエコポイントで買った酒を買い雑誌を読みながら時間が過ぎて、これがゆるい幸せがだらっと続くということなのかなと考えた。
こういう時間が長くは続かないことを知っている。知っているけれどそれは経験則の内でしかない。